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2013年6月

山形県小国町

山形市、新庄市に次いで、半年間で3回目の山形県。
6月12日、小国町に行ってきました。
伊丹空港から新潟空港へ、まずは空路で
新潟駅に移動して、特急「いなほ」で坂町駅へ。
坂町と米沢を結ぶ米坂線に乗り換えて、小国駅へ
車窓には、このような景色が続きます。

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仕事は、小国町立病院と隣接する介護老人保健施設や特別養護老人ホームなどの
職員の方々を対象にした講演会でした。
講演前に案内していただいた院内。
立派な絵画や書、陶板など、アートな雰囲気に満ち満ちていました。

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翌朝、泊っていた旅館に8時に病院の事務長さんがお迎えに来てくださり、
「せっかくだから、小国町を案内しましょう」と電車の出発まで2時間のドライブ。
山越えをする途中、山形県、新潟県、福島県の境にある
飯豊(いいで)連峰を臨みました。

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飯豊山の麓まで案内してくださることになり、山道を走っていくと、
残念ながら写真を撮る余裕はなかったのですが、子熊に遭遇
「熊が出るんですよ」
「マタギの熊狩りが盛んな地域で」
と車中で伺っていましたが、まさかほんとうに遭遇するなんて
地元の方にとっても、珍しいことだそうです。

道端にはまだ雪が残っている飯豊山麓に着くと、
美しい緑の樹々と雪解け水で水量豊かな川の流れに癒されました。

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短い時間に小国町を満喫させていただき、ほんとうに感謝、感謝の旅となりました。

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平和の礎(いしじ)

5月31日(土)、沖縄プライマリ・ケア研究会のご依頼で那覇へ行ってきました。
梅雨の沖縄…きっと湿気がすごいだろうなと思っていたら、
事前の天気予報では、晴れ
ところが、13時過ぎに到着すると、スコールのような雨
しかし、そこから急速にお天気は好転。
講演の時間までを利用して、“平和の礎(いしじ)”に連れて行ってくださいました。
沖縄戦終結50周年を記念して1995年に建設された記念碑です。

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平和の礎がある平和記念公園は、
毎年6月23日におこなわれる「慰霊の日」の式典会場として
テレビで見たことはありましたが、
思っていた以上に広大な敷地。
ガジュマルや松の樹々や芝生の緑が豊かなところでした。
米軍の沖縄本島上陸で、一般住民の多くは南へ向かって避難。
本来は首里にあった沖縄本部が降伏して終結するはずが、
本土決戦を避けるための時間稼ぎをしたい軍部の指令で、
降伏せずに日本兵も南へ移動。
追い詰められた多くの一般住民と日本兵が大勢亡くなったのが喜屋武岬です。
平和の礎がある平和記念公園やひめゆりの塔などがあります。

那覇市内から車で南へと移動しながら、
戦争中は、整備されていないこの土地を歩いて避難した人々を思い、
そして、平和記念公園の南端に立ったときに目の前に広がった景色。

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この太平洋を目にしたとき、解放感はまったくありませんでした。
逃げて、逃げて、南を目指し、
ここに行き着いたときの絶望感…
もうこの先は逃げる場所がない…
そう当時の人々の胸中を察すると、胸が押しつぶされる思いでした。

平和の礎には、沖縄戦で亡くなられた人の名前が地域にわけられて記されています。

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沖縄の人も、他県の人も、日本兵も米軍兵も、一人ひとりの名がありました。
「沖縄戦で20万人が亡くなった」と数でひとまとめにして聞くのと違い、
お一人おひとりの名前を見ていると、
確かに生きた一人ひとりの“いのち”を感じました。
その後、平和記念資料館へ。

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沖縄戦に至った経緯や戦後の沖縄が常設展で紹介されていました。
なかには、銃弾に倒れて死亡した女性とそれを見下ろしている米軍兵士の写真、
泥だらけで立ちつくしている子どもの写真、
145人の沖縄戦体験者の証言文などが展示してありました。
初めて訪れて「今度はもっとゆっくり時間を作って再訪したい」と強く思いました。
人間の人生は、長くても80~90年そこそこ。
一人の人間としてさまざまな気づきを得たときには、人生の終盤だったりします。
だから、世の中が進んでも、人は過ちを繰り返すのでしょう。
だとすれば、早くに気づきを得るためには、歴史に学ぶことが不可欠。
その思いをさらに深くしたひとときでした。

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