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2011年5月

辻本好子のつぶやき No.22 ~念願の総会と講演会に参加~

自宅に帰って、まずやってみたこと!

笑わないでくださいネ!

なんと、爪に慣れないマニュキアを塗りました
正直、日頃はやってなんかないのに…。
病院という日常から抜けて、
何か大きな変化をつけてみたかったんだろうなぁ~
ゆっくり、じっくり、誰にも邪魔されずに…。

次に、病院ではガリガリ君の異名をとるほど「氷」しか食べられなかったのに、
自分で湯を沸かし、いただいたハーブティを入れました。
ほんの少し蜂蜜を加えて、いつもの椅子に腰掛けて…。

そうして部屋のぐるりを見渡すと、
長年愛用のガラクタが「お帰り!」と
私を待ってくれていたような声まで聞こえてきたのです。

今回の退院の目的は、
なにより一週間後に控えたCOMLの総会に出席することが第一。
それまでに、何としても外出できる体調管理と、
外出のための諸々の準備を、
多くの在宅支援体制の方々が懸命に走り回ってくれました。

そして一昨日、
無事に総会と記念講演まで会場で
皆様とご一緒する事ができたのです。
本当に感謝です。

001

都立駒込病院長の佐々木さんの素晴らしい講演内容は情報誌にて。
乞うご期待ですよ!!

朝9時から午後の3時過ぎまで、
介護タクシー(民間)の送迎とリクライニングシートリースで
過ごした経費は9750円。
う~ん、民間はやっぱり高い!!

けれど会員の皆様の元気なお顔を拝見して大きな元気をいただいたこと。
そして、最後に思わず「術後、余命は1年か1年半…」と言われて、
短ければあと2ヶ月のカウントダウンが始まっているというのに、

「私には、まだまだやらねばならない事があります。
あと2ヶ月などとはいわずに、
また来年、皆さんにお会いしたいと思います!」
と叫んでいる自分にビックリしました。

在宅医療支援につなげ、総会の22日を支えてくださった全ての人に感謝です!!
(5月24日記す)

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辻本好子のつぶやき No.21 ~退院しました!~

5月16日(月)、無事に退院しました

010

介護タクシー(しかも、リクライニング式の贅沢な状況)で、
点滴をぶら下げながら…
自宅にたどり着いたときには、
思わず「ばんざーい!」と叫んでしまいそうなくらい嬉しい気持ちで一杯でした。

ただ、反面、病院という安寧の場から離れることの不安が
なかったわけではありませんが…。
ナースコールを押せば、すぐにも(ときには、そうでないことも…
ナースが飛んできてくれる。
痛みや苦しみが募ってくれば、
病棟主治医が”真摯”に悩みながら、
すばやく最適の処置を行ってくれる…。
そういう意味で言えば、病院という場は、
患者にとって、もっとも安全で安心できる「居場所」には違いありません。

でもでも、やっぱり、病院にまさる「場」は
(少なくとも私にとっては)我が家です。
好みで集めたこだわりのガラクタ、
馴染みのあれこれに囲まれた「私だけの空間」なんですもの…。

ところが、いわゆる在宅医療移行の初日は、目が回り、
頭の中が混乱のきわみに陥るほど大変
なにが?? って、
訪問医療のすべてに関わる医療者
(かかりつけクリニックのドクターとナース、
訪問看護ステーション所長とナース
ケアマネージャー、
さらには介護保険のヘルパーさん2人)
が一気に訪れ、狭い部屋が一杯に。

それぞれの役割の説明から契約手続き、
いつ何時に誰が何の目的で訪問してくれるか…などなどなど。
つぎつぎと情報が押し寄せてきて、
途中から、話が右の耳から左の耳へ
(説明してくださった皆さん、本当にゴメンナサイ)。

とりあえず今のところぼけてはいないはず(本人の意識では)の62歳の私が…
こんな状況になっちゃうんですから…。
国が主導すると何でもかんでも形式から入るので、
仕方ないことなんでしょうけれど。

とりあえずは、明日がどうなるのか。
午後2時に訪問看護師さんが来て、
点滴の差し替えを援助してくださることを理解して、
つぎの日のことは、また明日確認すればいい…と、
途中から自分に言い聞かせて納得しました

ということで、正直、皆さんがお帰りになったときにはヘロヘロ
お知らせしたいことは山ほどあったんですが、これからゆっくりと。
在宅医療についての「つぶやき」を続けていきたいと思っています。

病院の生活リズムがそのまま、22時ころには大あくび。
独居の夜の不安を解消するためにも、小学生並みの早寝をしました

また、このつづきは、ゆっくりと。
(5月17日記す)

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辻本好子のつぶやき No.20 ~前代未聞のカンファレンス~

第一線の急性期病院に入院していながら、
どうして50日余りもの長期にわたってしまったのかというと--
退院の目処が立つと、その都度、腹水が溜まったり、肺炎を起こしたりと、
予期せぬアクシデントに見舞われ、まるで狼少年のごとく…
何だか私一人で病院の平均在院日数を伸ばしているような
申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

たしか2回目の“実現”を目の前に控え、
いよいよ在宅に向けて具体的な動きを始めようとした4月25日(月)。
病院も前代未聞(?)というべき素晴らしい合同カンファレンスがおこなわれたのです。

前回にも触れたように、在宅に移行したときの担当クリニックのドクターとナース、
加えて訪問看護ステーションの所長(ベテランナース)とケアマネジャーが病院に出向いてくださり、
病棟からは若いH主治医と師長さん、
そして、医療ソーシャルワーカーのWさん、
がんサポートチームサブリーダーのS腫瘍内科医が揃い、
名古屋から来ていた2人の息子、
更にはほんとうに家族以上にきめ細かく私のすべてを支えてくれている山口と
患者の私。
総勢12名が立錐の余地なく病室にひしめき約1時間。
すでに、その数日前に“家族”の立場で山口がクリニックを訪ね
約1時間40分もの間「事前打ち合わせ」として、
これまでの詳しい経過や患者本人の希望、生活環境、家族構成などについて
これ以上綿密にできないというほどの面談のうえで
この日のカンファレンスに至っていることにも驚かされました。

「病診連携」「患者中心の医療」
といった謳い文句で国がその方針を立てて、やがて10年。
もちろん、それ以前から各地域では熱い想いを持ち、
先駆的、いやもっと言うなら犠牲的精神に近い想いで
在宅医療に取り組んでいたドクターが全国各地で活躍しておられました。
ただ、ものごとの道理なのか、一時妙なブームになったころ、
「いいことをやってあげている…」といった風潮を感じ、
厚生労働省の検討会でも「患者があくまでも希望することの支援」であり、
決して押しつけや(ドクター側の)自己満足で終わらないで欲しい
という願いを懸命に訴えました。
たとえば今回のようなカンファレンスの状況を説明するためのスライドが出され、
私はあくまでも患者・家族の立場でそれを眺めると、
まるで「取り囲まれている」風景としか見えなかった…
など、言ってみれば、そんな些細な情緒的ともいえる意見。
当時は在宅医療推進のイケイケドンドンの流れのなかで、
いわば一笑に付されていたように思います。

しかし、進化しました
とくに私がラッキーだったのかもしれません。
ただ、今回のカンファレンスが文字通りの患者の気持ちを中心に…
という見事な内容であったことから、
やはり、私たち患者が「自分はどうしたいのか?」という気持ちを
家族はじめ周辺の公的サービスも含めた支援が十分に尊重して、
「その人らしい」終末医療を築きあげられるように伝え、
一緒に考えながら進めることが何より大切と思います。
…やっぱり最期まで「賢い患者」でありたいと、
いま自分自身のこととして、痛切に感じているところです。
(5月13日記す)

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辻本好子のつぶやき No.19 ~直感と行動力でサポート~

ほぼ毎日のように、
がんサポートチーム・サブリーダーのSドクター(腫瘍内科医)が訪室してくださるうち、
気持ちがどんどん前向きに!
いまから死ぬことなんか考えてどうする!!
家に帰ることができたときにやりたいことがどんどん具体化し、
その手順まで頭のなかで整理でき、
あの人にはこのことを手伝ってもらおう。
この人たちには…と希望が際限なく広がっていきました。

001

そして、在宅医療の夢を具体的に押し進めてくれた次なる功労者(?)は、
医療ソーシャルワーカー(MSW)のWさんです。
まさに病院と在宅とをつなぐ事務方の役割です。
今回は、そのW医療ソーシャルワーカーのお話です。

まず最初に、彼女の役割の全体像の説明があり、
つぎに具体的な設定として、私の自宅に近い訪問看護ステーションを念頭に置き、
連携している訪問診療医の選定作業に入ることに。
幸いにも、自宅から(信号に引っかからなければ)5分とかからぬところに訪問看護ステーションがあり、
そこと提携しているクリニックが候補にあがり、
スタッフが病院に来てくれて説明を受ける場をWさんが設定してくれました。

面談の中心は、あくまでも訪問看護ステーションの方との打ち合わせのはずなのに…
クリニックからついてきただけのナースが妙に張り切っていて、
挨拶もそこそこに、
「ご利用いただく以上、まずは私共の方針をわかっていただかねばなりませんので…」
と、年齢的にも大先輩にあたる訪問看護師を差し置いて、
一方的に滔々とシステムや料金についての説明が始まり、
質問をはさむ余地のないまま延々15分の演説が…

途中で話が耳に入ってこなくなり、
ただ呆然と彼女の自信たっぷりの話しぶりを眺めている自分を感じていました。
…どうして最初に、私の希望を聴いてくれないのか?
…どうして私が描いている在宅療養のイメージを確認しようとしないのか?
ただ初めての経験だけに、
<こんなものなのか…>と諦めの境地に追いやられていく気分でした。

彼女の長い演説が終わると、ようやく訪問看護師の話になったのですが、
すでに私の心の扉はシャットアウト!
いや待てヨ!
かかりつけ医は基本的には週1回。
しかも目の前の彼女がメインではないはず。
その当事者であるドクターと会ってもいないのに、心を閉じてはいけない…
と気持ちを切り替え、懸命に彼女たちの話を受け入れようと努めました。

…ところがです。
その場に同席してくれていたのが、MSWのWさんと病棟副師長さん。
Wさんは私の斜め後ろに座っていたため、
細かな私の表情の変化をキャッチできないはずなのに、
面談終了直後にベテラン訪問看護師に連絡を取り、
「どうやら辻本さんがクリニックのナースに対して
強い違和感を抱いていらっしゃるように思えてならない」
「いまだ契約をしたわけではないので、
再度、別のクリニックを調整してみようと思う」
と相談をしてくださったのです。
さすが! です。

訪問看護ステーションの諸条件は願ってもない内容だっただけに、
改めてクリニックの協力を別の角度から探る作業に入り、
何とCOMLの理事で訪問診療のみで経営しているK氏の紹介もあって、
じつは10年ほど前、あるシンポジウムでご一緒に発言した
Sドクター(腫瘍内科医のSドクターとは別の男性ドクター)に
偶然にもたどり着くことができたのです。
願ってもない“ネットワーク”の可能性が見えてきました。

しかもSドクターは、担当する以上は
「自分自身が病院に出向き、直接患者さんの希望を確認し、
病棟スタッフとの綿密な連携をとる」という揺るぎない方針を持った方。
--その姿勢を聞いただけで、
強い信頼感が私の心のなかでフツフツと音を立ててわきあがってきたのです。

そこにたどり着けた何よりの支援は、
MSWのWさんのプロとしての鋭い“直感”と素晴らしい“行動力”。
そして、確かなネットワークと言う宝物。
がんサポートチームには、医療の表舞台以外にこんな大きな力が備わっていることを
改めて感じつつ、感謝の想いを強くしました。
次には、さらに素晴らしいカンファレンスについての“つぶやき”を!
(5月12日記す)

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辻本好子のつぶやき No.18 ~見事な傾聴力~

「もたいまさこ」という女優さんをご存知ですか?
TVでの活躍より舞台女優、しかもかなりの個性派…50歳代後半ぐらいかな?
…に、似ているわけじゃないんです、決して!
ただ、醸し出す雰囲気が、とってもよく似ているんです。
がんサポートチームのサブリーダー、腫瘍内科医の女医さん。
もちろん、もっと若くてスマートで、飾りっ気のない素敵な方です。

012

私が入院している病院は、がん診療連携拠点病院を標榜。
700床近い急性期病院でもあり、とくに外科部長の強い希望もあって、
贅沢なほどの人材が布陣されています。
がんサポートチームのトップは外科部長。
曰く「外科医はベストの手術をする役割。
残念ながらオールマイティではないだけに、患者の心のケアや
自分たちで補いきれない部分をサポートしてほしい!」
という方針で、8年前からスタート(詳しくは8月号の会報誌をお楽しみに)。
以前紹介したアロマテラピーのボランティアの方も研究員としてメンバーの一員。
総勢約10名ほど各専門家のエキスパートが揃っています。

サブリーダーであるSドクターの優しさや細かい気遣いは言うまでもないことながら、
何がすごいって、“傾聴力”がともかくスゴイ!
できることならCOMLでスカウトしたいぐらい…
なんて、とんでもない話ですが…

もちろん、すべての患者さんのサポートは不可能でしょう。
やはり、ターミナル期の患者が対象のようです。
病棟師長さんから紹介され、「大歓迎!」とお返事をして、
初めて病室に来てくださったときは副看護師長(もちろん彼女もサポートメンバー)とお二人。
「いま何か気がかりなことがありますか?」と斜めに向き合い、
私の言葉をジィーと待ってくださいました。
じつは、初めての訪室なら、いわゆる顔合わせ程度のことだろう--
と、とくに何を話そうという心の準備もしていなかったのです。
でも、眼鏡の奥のやわらかな眼差しを見つめているうちに、
突然、思いもかけない言葉が私の口をついて出てきたのです。

「あと、どれくらい生きられるか?」
「仕事に自らの意思でピリオドを打ったものの、この先の私の何の役割が残っているのか…?」
「何をどこから、どう考えたらいいのか…混乱してばかり」
と矢継ぎ早に予期していないあれこれが、涙とともにほとばしってしまいました。

病院に居たのでは何もできない。
身の回りの整理も、会いたい人にも会えないし…
夢も希望も願望も、いっぱいあるんです--。
そんな話をジィーと受けて止めてくださいました。
「慌てなくて、だいじょうぶ。
一つひとつ実現させていくためのお手伝いをすることが、私たちの役割なんです」と。

それからは、ときに1時間以上、
COMLの活動の話や何としても実現させたい沖縄の仲間たちに会いに行く計画に
ニコニコと耳を傾け、
「そのためにも在宅医療につなげていきましょう!」と見事なサポート。

先にも書いたように、外科医は外科のエキスパート。
たとえば薬についても、すべてを知っているはずもなく、
口から薬が飲めなくなって、それでも眠りを確保したいと願う私の話から、
坐薬も水溶薬もあると安心させてくださり、カンファレンスで提案。
若い病棟主治医も正直に「坐薬の眠剤は知りませんでした」と、
まさに“チーム”の本領発揮!

残念ながら、現在、どこの病院にも備わっているチーム体制ではないでしょうし、
いわばトップの意識に依るところ大!
でも、これからはどこの病院にもあって“当然”と、
患者の私たちが声を挙げていくためにも一つの参考にしたい…と、
ちょっとまじめなつぶやきでした。
(5月10日記す)

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辻本好子のつぶやき No.17 ~手術以降④~

21年前、誰に頼まれたわけでもないCOMLの役割を自ら立ちあげ、
前例のない、誰も通った道もない荒野に立って、
ただひとつの想い「賢い患者になりましょう!」
そのためには、患者も主体的な参加意識で医療者と協働しながら、
納得できて、安心できる医療を一緒に築きあげていく努力をしようと叫び続けてきました。

006

10年がひと階段、20年がふた階段、
そしていよいよ3つ目の階段に向かって歩み出そうと決心した矢先の罹患--。
やっぱり悔しい!
これまでの20年に何の憂いも後悔もないのに、
この先に私の役割がないことに…!!

しかし、幸いなことに、あとに続く盤石の備えが私をしっかりと後押ししてくれて
ただいまは、療養に専念することを許してくれる、
ありがたい素敵な仲間がいてくれることは
何と、何と、幸せ者なんだろう!!

今回の入院も、やがて50日を数えようとしている。
退院の目処が立つと、思わぬアクシデント
(たとえば吐いたものを吸い込んで肺炎を併発するなど)
に見舞われ、いまだ明確な退院予定がいただけていない。
5月22日の総会を前に、今回はちょっぴりセンチにもなりながら
真摯にいまの心境を綴ってみました。
半年もかかった、潔い引き際が描けなかったことだけが
申し訳ないやら、情けないやら…です。
(5月7日記す)

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辻本好子のつぶやき No.16 ~手術以降③~

そして、3月19日(土)。
長年COMLの理事を務めてくださっているH氏の勤めるグループで
病院スタッフや介護スタッフへの話として、
じつに通算3回目のお招きで石川県へ。

004

這ってでも出かけたい、しかも、自力で…
の強い想いのわがままを強行して、一路北陸路を目指しました。
この日の講演が、生涯最後の機会になるという
妙に確信にも似た心境になっていたのも、
いま思えば“直感”というヤツでしょうか。
たぶん、自分なりの“花道”と覚悟できていたのだと思います。
多少、肩にも力が入っていた半ば押しつけのような話になってしまったのでは…
といまも少し反省していますが、
この日ばかりは最初から椅子に掛けて、
何度も入退院を繰り返す体験のなかで、
心温まる医療者のひとことなどを織り交ぜて、
2時間の大役を果たすことができました。
参加者の方々の受け止めてくださるお気持ちに支えられた至極のひととき。
…あぁ、終わった!
と得も言われぬ満足感を味わわせていただく一方で、
布袋様のようなお腹を抱えて一路、大阪へ。
そして、翌々日、現在の至る5度目の入院(3月21日~)です。

長々と10ヵ月間の辿った道をおさらいしてみて、
何と往生際の悪いヤツと情けなくなります。
恥の上塗りのような綴り方になってしまいました。
(5月7日記す)

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辻本好子のつぶやき No.15 ~手術以降②~

2月の緊急入院した12日間の講演予定は、すべて山口が代わってくれ、
そのときの手帳のスケジュールに--(線)が引かれ、
「山口代」の印が並び…
悔しいやら、情けないやらで、ホゾを噛む思いの日々でもありました。

3月初旬、名古屋大学医学部附属病院の講堂でおこなわれた
「日本糖尿病教育看護学会」の東海地区の2時間の講演は、
前々から何としても出かけたいという強い思いがあり、
幸い名古屋在住の次男が付き添ってくれることで依頼側の安心も得て、
実現にこぎつけることができました。
2時間の想いを語ることもさることながら、
初めて息子に「私の仕事」の集大成を聴いてもらうという、
常なら恥ずかしさが先に立つけれど、
この日ばかりは、
「君の母親は、こういうメッセージを患者の立場から慰労者に伝える役割を
20年間模索してきたんだ」
と暗黙のうちに伝えたかった気持ちもありました。
終了後、息子が「聴けてよかった。誇りに思う」と言ってくれたことで、
大きな大きな肩の荷がひとつ降りた気持ちになれた、
幸せの瞬間でした。

013_2

退院後、まだ多少の体力は残っていて、
最後のふんばりは、たまたま例の3月11日(東日本大震災の日)は東京で--
まさに、2時45分までの講演を終了し、
深々と「ありがとうございました」とお礼を述べたところで未曽有の揺れ。
ビルの5階にいて、結局ジィ~~としているしかない数分間。
阪神大震災もそれなりに(大阪で)体験していても、
人間いざとなったら何もできないことを改めて思い知りました(3月11日)。

這う這うの体で翌日帰阪し、
テレビニュースを観ては、しばし呆然自失の日々を過ごすことに。
週が明けた月曜日。
西宮市内の病院の看護部長から、
じつに心のこもった依頼状をいただいて大きく心が動かされ、
近場であることを理由に、付き添いも断って一人で出かけました。
案の定、看護師ばかりか医師の皆さんまで参加してくださり、
熱心に私の話に耳を傾けてくれる様に、私のほうが感激。
しかし、すでにこのときも腹水の溜り始めの兆候があり、
途中から(初めて)椅子にかけて語らせていただいた2時間になりました(3月14日)。
(5月7日記す)

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辻本好子のつぶやき No.14 ~手術以降①~

昨夏7月、胃がんの手術(7月12日)。
2週間の入院を経て自宅療養。
異常とも思える酷暑続きの毎日。
部屋に閉じこもって、テレビで高校野球観戦に明け暮れた。

9月復帰を目指したものの
我慢しきれず8月末に大阪市内で術後初の体験を交えた話を1時間。
立っていても、何やら身体がフワフワと浮いているようだったけれど、
すぐに勘のようなものがよみがえり、多少の自信にもなった(8月21日)。

007

それから少しずつ仕事のペースを上げ、行ける限りは…出席できる限りは…
と、講演や文部科学省、厚生労働省、消費者庁の会議にも参加できるようになりました。
すでに抗がん剤治療が始まっていて、
手足の指先の強いしびれ感と、
秋口には脱毛もあって、外出の際の帽子が手放せなくなりました。
日本文化というべきか、古い体質を残しているお歴々の方たちというべきか、
会議中に帽子をかぶっていることに白い眼を向けられているような
強い違和感を覚えたことがいまも鮮明に心に焼きついている。
--こんな所でオシャレなんかして--と思っているのか、
いつもなら目を合わせてくれる人までが、なぜかよそよそしい。
…抗がん剤治療による脱毛なんですヨ。
とわざわざ言い訳することもできず、
小さな孤独感を味わっていたころです。

後日談。
--あれはオシャレじゃなかったんですネ--
と何人もの人から声をかけられるようになったのは、
激やせして、見るからに“病人”になったころのことです。

そんなこんなで冬を乗り切ろうと思っていたのに、
11月初旬の夜、出張先のホテルで右側背部の激痛に襲われ、
“のぞみ”の始発を待って病院へたどり着き、緊急入院(11月11日)。
水腎症とわかって、早速右側の腎臓と膀胱をつなぐ尿管に
ステントと呼ばれる管を挿入するミニ手術を受け、事なきを得たのです。

じつはその後、1月下旬にも左側に同じ症状が起き、
経験、学習が功を奏して外来の処置でステント挿入(1月26日)。
しかし、その後は割合に順調に推移し、
念願だった沖縄講演も無事終え、
いつも「今度はいつ帰ってくるんだい?」
と声をかけて待ってくれている仲間とも、
青い海を見ながら極上のひとときを過ごすことができました(2月5日)。

ちょうどそのころから、
手帳に目いっぱい詰まっているスケジュールが
次第に重荷に感じるようになり、
弱気にさいなまれるような気分になることがしばしば…。
東京→札幌→東京→神戸と強行軍が続いたところで、ついにダウン。
神戸の講演を終えてから、飛び込むように病院にたどり着いた翌日に、
再び緊急入院。
腹水を5リットル抜いて、ようやく布袋様のようなお腹がへこみ、
輸血によって貧血からも解放されました(2月20日)。
(5月7日記す)

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辻本好子のつぶやき No.13 ~たかが氷、されど氷②~

口から何も受けつけなくなる私の「運命の旅」の途中には、
当然に水との格闘もありました。
まずは、水の味です。
最初にダメになったのが、硬水。
文字通り硬くて、重くて、喉が受けつけなくなりました。

軟水に近いペットボトル(私は“ボルビック”がOKでした)を買い求めていたとき、
毎日のように病室に顔を出してくれる山口が、
自宅でこだわって飲んでいる(焼酎のお湯割りのため?)水を試してみよう!
ということでおすそ分けしてもらったら、これが旨い!
ちなみに、山口曰く「ビールの違いはわかるけど、水はそこまでは…?」

ところが、ペットボトルで直接口から飲めないのが第2弾!
上を向いたままゴクリとできないのです。
むせ返るのです。
ストローで吸って、顎をグッと引いて少しずつ…少しずつ…
そうこうするうちに、そんな飲み方でもむせ返って、
吐き気に襲われるようになってきました。

そこで真打登場!!
それが、“氷”です。

011

前回からのテーマ「たかが氷、されど氷」のお話なんです。
--フゥ~、やっとここまで来ました。
現在、唯一喉を通り越してくれる、まさに命の水。
それが、氷なんです。
スーパーやコンビニで売っているカット氷です。
ひと口大、硬い氷と謳っているごとっく、じつに硬い商品。
しかし、私の口サイズには、とてもひと口大と言えない大きさ。
そりゃ、そんなに小さくしてしまったら、
すぐに溶けて商品価値が下がってしまうから仕方はないのですが…

まずは大きめの氷との格闘!
とりあえず、何度もしつこくしゃぶって、周辺を溶かします
スプーンに乗るくらいになるまで、何回も繰り返すうちに
真ん中辺りに歯形を入れて溝を掘ります。
そして、ここぞというところでガリッ!!
ヤッター(歯が丈夫でヨカッタ!)
…とまぁ、こんな格闘を繰り返しているのですが、
1日に1000~1500gくらい
これがいまの私の重要な水分補給方法です。

熱が高いときは最後まで心地よく、
下がっているときは、コップ一杯の氷が終わるころには、
身体が小刻みに震えあがっていますし、
口の周囲がまさに氷のように冷たく、冷たくなって
両手でハーハー息をかけてよみがえらせてやらねばなりません

甘味料の入ったシャーベットなどは、
最初のひと口、ふた口はおいしいのですが、
やっぱり真打は素の味。
ほどよく小さくなったところで、
ガリガリガリッ、ガリガリガリッ
と、口のなかでシャーベット状にするときは、まさにカイカ~ン!
薬師丸ひろ子の境地です
(5月4日)

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辻本好子のつぶやき No.12 ~たかが氷、されど氷①~

口からモノを受けつけなくなって、やがて1ヵ月以上。
人間の持つ三欲のひとつが完全に欠落してしまったわけですが、
不思議に絶望感のような悲しさはないんです。
なぜなら、逆に多少でもモノを食べると、
その後に必ず襲われる激しい吐き気のほうが怖いから…

胃がんを患って最初に諦めたのが、大好きな麺類。
日本そば、うどん、そしてラーメンは、とくに喉越しで味わうもの。
あの「ズルズル! ズルズル!」 がご法度!
消化機能の助けのためには、しっかり噛んでから飲み込まないと。
ところが、麺類は噛む前に喉を通り越して入ってしまい、あとが大変!
つまり、胃がんの患者にとって最も恐ろしいダンピングに陥ってしまうからなんです。

013

そこから始まった、食べられない私の「運命の旅」は、
10ヵ月後に小さな錠剤まで格闘せざるを得なくなりました。
「眠剤で、どうしても眠りだけは確保したい」という最後の望みで、
わがままにわがままを重ね、たとえ吐き気が来ようとも…
しかし、ついに断念!

幸いと言うべきか、いまは胃粘膜の保護剤などには、
いわゆる「口で溶ける」薬があったり、
その他、坐薬や点滴で対応できたりする時代なんですね。
結局、眠剤も点滴に頼ることになったのですが、
導尿という“副産物”も受け入れざるを得ません。
とくに夜中、眠剤で寝入ってしまって
(腹水予防で利尿剤を一方で使っているため)尿意を催し、
フラフラ歩いて転んで骨でも折っては…という配慮から
尿管が差し込まれました、。

そんななかで、唯一、口から入れられるのが氷です。
この氷にまつわる話がじつに奥深い!!
つづきは、つぎの“つぶやき”で…。
(5月1日)

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辻本好子のつぶやき No.11 ~アロマの香り~

週に一度、ボランティアの方が病室まで来て、
アロママッサージをしてくれます。
ボランティアといっても有資格者で、がんサポートチームの一員。
胸の名札には「研究員」の文字が。
他の病院の看護管理者まで勤めあげ、
定年退職後に趣味のアロマを勉強したいと真剣に向き合ったら、
「やっぱり興味がメディカルの方に走り」
「深みにはまって海外研修まで」
と笑う、物静かな、ちょっと頑固そうな女性。
…そう、道楽も極めれば“極道”ですぞ!

初回に、まずはインフォームド・コンセント。
アレルギーの有無などを確かめ、同意書にサイン。
薬物ではないけれど、一応直接からだに塗るものだからなんだろうなぁ~。

「とくに辛いところは?」と聞かれ、
抗がん剤の副作用による手足指先のしびれ感を伝え、
とりあえず、両手両足をマッサージしていただくことに。
じつは4~5日前から左足のしびれが強くなり、
かかとをついて歩くのも辛くなっていたので、左足を重点的に約1時間。
とくだん力を入れるわけでもなく、部屋中にアロマの香りが漂い、
ことのほかマッサージ大好き人間の私にとっては
病院に居ながらにしての、まさに至福のひととき

別の病室のがん患者さん
なかでも男性患者さんが(たぶん、どの人も初体験なんだろうなぁ~)
彼女の訪れを首を長~くして待っている--とナースから聞いて深く共感
いまや私もその一員です。

何を語るでもない、ただただゆっくりとからだをさするようなマッサージ。
何ができるでもない、本を読むかラジオでも聴くしかない意味なく長い午後のひととき。
いまでは、いつも決まってウトウトとまどろんでしまう
幸せタイムになっています。

後日、友人がローズのアロマの香りのおしゃれなボトルを
「化粧水代わりにも、芳香剤のように使っても…」とプレゼントしてくれました。

002

香は何であれ「ヤメテクレー」という患者さんもいて、
個人差があるのだと思うけれど、
私は吐き気のない調子の良いときなら
ほのかな優しい香りに包まれることでリラックスできるから大歓迎!
…あくまでも、私の個人的感想です。
(4月28日)

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辻本好子のつぶやき No.10 ~お姫様抱っこ?~

IVHポートを埋め込む決断のきっかになったもう一つは…
(いくつになっても女性は女性。体重の話はちょっと恥ずかしい気もするけれど)
これまでの私のベスト体重が47~48Kg。
それが、38.0Kgになったこと。
ちょっと食べすぎたり、胃の調子が悪い
(…考えてみればあったんです。しょっちゅう…)
などで食欲がなくなると、前後1~2Kgの動きはあっても、
38.0Kgは、さすがにガ~ン!!

病院でシャワーを浴びるとき、浴室の鏡に映る自分の姿を
まともに見られなかったんです。
腹水が溜まっているときは、アフリカ難民の子どもの映像が、
腹水が抜けたあとは、アウシュビッツ・ホロコーストの映像が重なって、
思わず目を背けてしまいたくなるんですもの--

考えてみれば、小学校3~4年生のときの体重ですヨ。
決しておチビではなく、ヤセてもいなかった元気でオッチョコチョイの好子ちゃんでした。
ちなみに、アムールヒョウを描いてくれたそうたくん(4月18日のブログ)のママに聞いたら、
ピカピカの1年生の彼は、いま20Kgくらいとか。
もうすぐ4歳、今春幼稚園に入園した孫は、なんと16Kg
--オ~イ、そうたくんヨ、もうちょっと太りなさいヨォ~!
DNA的にもガッシリタイプの部類と思うだけに、
やっぱり、どうみたって尋常じゃありませんよね!?

食べられるならいいんです。
食べられないんですから
またまた腹水が溜まることは必至。
低たんぱく、アルブミン不足…
もちろん、薬剤によるアルブミン補充(例の飲みにくい薬)が、
かなり効果を上げてくれているけれど、
しかし、いまや薬と点滴しか頼るものがないのも現実!
IVHポート埋め込みは、そんなこんなで
熟慮に熟慮を重ねた結果の大決心だったのです。

38Kgというレコード(記録)記念日(?)に
2人の息子に「お姫様抱っこはともかく、いざとなったらおんぶしてもらえるネ。
そのときはヨロシク!」と同時メールを送ったら、
長男からは
「もう減るトコはないか? 片手でチョイチョイと持ち上げちゃうヨ」。
次男からは
「さ、38Kg!? おんぶに抱っこもお任せを」
と、なんとも乱暴な奴らでして、そんなメールが返ってきました

さすがに24時間持続点滴を始めてからは、38Kgを切ることはありません。
こうなると、ビタミン、ミネラル、アミノ酸、ナトリウムなど
混入作業でも最後の一滴までが大切で、愛おしくさえなってくるから不思議です。
だって、いまは点滴が私の“ご馳走”なんですから。

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辻本好子のつぶやき No.9 ~もう一つの“口”~

家に帰りたい…
モルヒネパッチに高まった在宅医療への期待感を
もう一歩グイッと押し進めてくれたのが、IVH(中心静脈栄養)ポート。
 *ポート:血管内に注入するための医療機器

9年前乳がんで右腋のリンパ節を取っているため、
採血はできても、点滴の針は左腕のみ。
もともと血管そのものが細いうえに、乳がん治療で散々傷めつけ
昨夏の胃がん手術の後に延々と続く抗がん剤治療などで酷使。
いまや手の甲ですら針が入らなくなってしまい、
いつも若いドクターを困らせていたんです。
そして、ほぼ同時期、ついに口から食べるものを一切受けつけなくなり、
何が何でも点滴に頼らざるを得ないという状況に。

そこで出てきたのが、IVH。

001

ただ、主治医には迷いがある様子。
点滴に委ねることは、つまりは常に水分が身体に入っているということ。
そうすれば、また腹水が溜まることになるのではないかという不安。
しかし、体重は日増しに減少していくばかりなのです。

そしてついに決断のとき!!
基本的に自己管理を視野に入れ、
最終的には針の抜き差しまで“自分でやる”こと。
左鎖骨の下、自分で下を見て右手で操作できる場所に
ポートを埋め込むことに相成りました。

…1時間余り、局所麻酔で2センチ×2センチぐらいのポートを埋め込む手術。
「ハイ、大きく息を吸って…」「ハイ、楽にして…」
と患者の協力(?)のもとで適切な場所を探っていく。
もちろん痛みは感じなくとも、
胸のうえで異物がゴリゴリ押し入れられていく感じは、
決して気持ちのよいものではありませんぞ…。
「ハイ、ベストポジションに入りました!」で手術終了。
--あぁ、これで何度も針を刺されることにはオサラバだ--
--1日1160キロカロリーの点滴でいのちがつながる--
私の栄養補給のもう一つの“口”ができた瞬間の小さな感動でした。
(4月4日のできごと)

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辻本好子のつぶやき No.8 ~モルヒネパッチ~

薬といえば、もう一つ「モルヒネパッチ」について。

腹水が溜まると必ず引き起こるのが両腎臓の腫れと痛み。
これが、じつに痛いんです。
モーレツ!! ってやつです
ジワジワジワ~~、あっ、くるゾ、くるゾ~~

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こうなると両方の腎臓と膀胱をつないで排尿を助けてくれている
26センチの2本のステントも、まったく奏功せず!
そんなこんなを繰り返し、しばらくはものものしい装置の24時間点滴で対応。
しかし、ついにモルヒネパッチに切り替えることになりました。

パッチといえば、以前、身近な人が禁煙した折にみたことがあるぐらいで、
初めての“お目見え”。
なんとも小さい(1~2センチ四方ぐらい)のでビックリ!
--こんなもんで効くんかいな?--
ところがその威力たるや、凄いのひとこと
貼った瞬間から(ちょっとオーバーかな?)痛みはどこへやら…
取扱いの注意事項さえ守れば、患者本人や家族でも管理できるシロモノ。
--そう! 自宅に帰ってからもだいじょうぶじゃないの!--

9年前、同じ病院で乳がんの手術を受けただけのわずかな経験しかないけれど、
院内チーム体制の充実。
治療(キュア)と看護(ケア)の横並びで、
見事な役割分担の確立。
スタッフ一人ひとりが誇りと情熱を持っている姿に、
小さな驚きと感動と励ましをもらっている今回5度にわたる入院。
そんななかで、それ以上に嬉しかったのが医療技術、看護技術に加え、
こうした薬剤などの日進月歩の向上です。
(当然ながら、医療政策・制度あっての話ですが…)

もちろん、わかってます。
そんな病院ばかりでないことも。
決して“治る”わけでもないということだって…。
ただ、家に帰ってもだいじょうぶなんだ。
安心して帰るための医療の支えさえあればという“確信”が
私の気力を支えてくれたのです。
ただ漠然と、家に帰りたい、早く退院したいという気持ちから、
家に帰って、あれもしたい、これもやっておかなくちゃ--
それをちゃんと自分の手で!! という気持ちに。
モルヒネパッチ1枚が、そんな気力を引き出してくれたのです。
となれば負けてなんかいられない。
「絶対、家に帰るゾ!」
そしたら、急に目の前が明るくなってきました
(4月22日)

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